翻訳と辞書
Words near each other
・ ゲオルギイ・フロロフスキー
・ ゲオルギイ・ベリエフ
・ ゲオルギイ・ミハイロヴィチ・ベリエフ
・ ゲオルギイ・ヴァシリエヴィチ・フロロフスキイ
・ ゲオルギウス
・ ゲオルギウスの日
・ ゲオルギウス・アグリコラ
・ ゲオルギウス・ツォラコグロウ
・ ゲオルギエフ
・ ゲオルギオス
ゲオルギオス (ギリシャ王子)
・ ゲオルギオス (聖人)
・ ゲオルギオス1世
・ ゲオルギオス1世 (ギリシャ王)
・ ゲオルギオス2世
・ ゲオルギオス2世 (ギリシャ王)
・ ゲオルギオスの日
・ ゲオルギオス・アニノス
・ ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ
・ ゲオルギオス・ガリツィオス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ゲオルギオス (ギリシャ王子) : ミニ英和和英辞書
ゲオルギオス (ギリシャ王子)[こ, ね]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
王子 : [おうじ]
 【名詞】 1. prince 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

ゲオルギオス (ギリシャ王子) : ウィキペディア日本語版
ゲオルギオス (ギリシャ王子)[こ, ね]

ゲオルギオス・ティス・エラザスギリシャ語表記:1869年6月24日 - 1957年11月25日)は、ギリシャ王国の王族。
ゲオルギオス1世とその王妃オルガの次男として、ケルキラ島で生まれた。1883年以降、父方の叔父でデンマーク海軍提督であったヴァルデマー王子に預けられた。後にゲオルギオスは婚約者に『この時私は父に見捨てられたと感じ、以後は叔父のために大人になったのだ。』と話している。
1891年、ゲオルギオスは従兄であるロシア皇太子ニコライ(のちのニコライ2世)の極東歴訪に同行した。日本でニコライが大津事件に遭遇した際は、彼の救助にあたっている。
1896年、アテネオリンピック開催時、兄コンスタンティノス(のちのコンスタンティノス1世)、弟ニコラオスとともに組織委員会に加わった。
ギリシャ独立後もオスマン帝国領下にあったクレタ島では、ギリシャ復帰を求めて不穏な空気が高まっていた。1898年、列強が介入しクレタ島は半独立国家となり、初代総督にゲオルギオスが選ばれた。しかしギリシャ愛国者は完全併合を求めて活動を続けた。1906年の選挙結果、ゲオルギオスは総督職を解かれ、1908年にクレタは正式にギリシャへ復帰した。
1957年、フランスのサン=クルーで死去。''、1869年6月24日 - 1957年11月25日)は、ギリシャ王国の王族。
ゲオルギオス1世とその王妃オルガの次男として、ケルキラ島で生まれた。1883年以降、父方の叔父でデンマーク海軍提督であったヴァルデマー王子に預けられた。後にゲオルギオスは婚約者に『この時私は父に見捨てられたと感じ、以後は叔父のために大人になったのだ。』と話している。
1891年、ゲオルギオスは従兄であるロシア皇太子ニコライ(のちのニコライ2世)の極東歴訪に同行した。日本でニコライが大津事件に遭遇した際は、彼の救助にあたっている。
1896年、アテネオリンピック開催時、兄コンスタンティノス(のちのコンスタンティノス1世)、弟ニコラオスとともに組織委員会に加わった。
ギリシャ独立後もオスマン帝国領下にあったクレタ島では、ギリシャ復帰を求めて不穏な空気が高まっていた。1898年、列強が介入しクレタ島は半独立国家となり、初代総督にゲオルギオスが選ばれた。しかしギリシャ愛国者は完全併合を求めて活動を続けた。1906年の選挙結果、ゲオルギオスは総督職を解かれ、1908年にクレタは正式にギリシャへ復帰した。
1957年、フランスのサン=クルーで死去。
== 結婚と子女 ==
1907年、ロラン・ボナパルトの一人娘マリーリュシアン・ボナパルトの曾孫にあたる)と結婚。彼女はボナパルト家の一員であったが、皇位継承権を持っていなかった。しかし、母方の祖父がモンテカルロカジノを所有する大富豪であり、相続した遺産は莫大なものであった。ゲオルギオスは妻との間に1男1女をもうけた。
*ペトロス(1908年-1980年) - 人類学者となった。ロシア出身の平民女性と結婚したためゲオルギオスは怒り、以後父子関係は断絶した。
*エイゲニア(1910年-1988年) - 最初の夫ドミニク・ラジヴィウ公との間に2子、二度目の夫カステル・ドゥイノ公ライムンドとの間に1子をもうけた。


category:1957年没

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ゲオルギオス (ギリシャ王子)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.